少なくとも二人前の葉っぱの山盛り

地方公共団体の厚遇が取り沙汰されている。財政状況が悪いにも関わらず、待遇が良すぎるのは問題である。一方で、その職員がいなければ行政事務は滞るので、彼らに対して金銭的な保障をすることは全体の利益に適うことでもある。
…と書いていて、地方公共団体の財政的な収支の目指す方向がよくわかっていないことに気づく。民間企業は利益を出すこと、以前よりも利益を増やすことが目指されるべきことだと思う。しかし、地方公共団体は利益を出すことを目指してはいない。むしろ出せない。公共サービスは利益の出ないこと(民間では出来ないこと)だからこそ、公共サービス自体が必要になる。ゆえに、収支がマイナスであることは予想されている(諸費用を民間並みにすれば)。まとめると、ある程度は収支がマイナスであることは許容されるが、無駄が多いと問題だということになる。私見だけど、無駄の多さは、何の共通の尺度も無くて単に感情的なものでしかないように思える。では、足りない分は何で補うか。
現状、4割行政といわれるように自前で確保できる財源は半分にも満たないので、収支をトントンに持っていくことすらできない。足りない分は地方交付金や国庫支出金(国から地方公共団体へ渡すお金)、あと地方債(借金)で補填される。
ところで、今の内閣は、国家財政的な観点から国から地方へ渡すお金を減らそうとしている。単に減らすのではなく、地方交付金や国庫支出金を減らして、代わりに税源委譲という形で穴埋めをするという仕方である。結果的に、地方団体が自前の税源を増やすことになる。しかし、地域によって税収基盤に差があるのは当然のことで、税源を移譲されても現状維持どころか税収が減るところが出てくる。おそらく、地方公共団体のほとんどが減るというのが実情である。それゆえ、税収の弱い自治体を救済するために、国は合併を薦めている。合併すれば、個別に対処するより財政問題に取り組みやすいし、また国から臨時ボーナスをもらえるようになっている。これが、新市名の名前が近ごろ話題になる背景である。
地方公共団体の財政収支的な観点で厚遇が問題になるなら、地方の税収を減らす国の政策も合わせて批判すべきではないだろうか。国が立ち行かなくなったら問題だというなら、地方公共団体が立ち行かなくなっても問題である(そこに住む人にとっては)。僕個人としては、国のほうが大事だと思うけども。また、無駄の多さについては、共通の尺度が無い。つまり、厚遇に関してマスコミが取り上げていること(不正を除いて)は感情的なことに過ぎないように思える。僕としては、厚遇は問題だと感情的に思う。
概してマスコミは感情的だなと思う。話がそれるけど、話題の堀江社長が日テレに出て、無いことを言われたり誘導尋問される扱いに不満げだったらしい。特定のわかりやすい形に持っていけば視聴者に伝わりやすいから、日テレの気持ちもわからんでもないけど、報道番組なんだし、感情を混ぜた恣意的な作りは極力避けましょうよ。そんな有様だから出演タレントの犯罪をバラエティーのネタにするんだろうな、とか感情的に言いたくもなる。感情的なものも大事なんだろうけど、客観性のレベルについて意識することも重要ではないだろうか。どっちがより大切かではなくて、要は使い分けなんだけども。