以前は建前と本音がよく分かっていなかったのだな、と思う。建前は、ある意味、気遣いの結果であることに、最近気付いた。だから、プライベートでも建前はあってもおかしくないのだと思う。
プライベートで建前を初めて突きつけられたときは、すごく虚しくなったのだけど、それはただ僕が思うことしか言葉にできなかったのが問題だった。
今思えば、これまでは自分で自分を抑圧していたせいか、言葉だけは何の制約もなく自分を担保していたかったのかもしれない。だから、僕は思っていることばかりを言葉にしていたのだろう。言葉が最近軽くなったのは、言葉とは別のところで自分を満たせてあげられているからだと思う。