継続、というのは僕に似合わない言葉だけど、何とかぼつぼつと続けていることがある。それは、我慢するのではなく、我を上手に通すようにすること。もちろん、我慢することが悪いとも、我を通すことが必ず正しいとも思っていない。
なぜ我を通すことに意を置いているかというと、我を通しすぎれば周りの迷惑になるけども、自分を抑えすぎても周りとうまくいかないことがあるからである。
最近までは自分を抑えこむばかりだったせいか、まだまだ自分を出すのはうまくない。自分を出すというのは、具体的な行動もあるけど、形の無い衝動に心の中で形を積極的に与えてやることである(そういう意味で、僕は“欲求不全”である)。実際に、今も漠然といらいらしている(苦笑)。